4月3日より放送開始されているNHK・朝の連続ドラマ『らんまん』。私としては大変楽しく視聴しているのですが、思いのほか苦戦しているようだ。
その批判意見をチラホラと見かけたのですが…私としてはその批判の意味がよくわからなかったので、この記事ではソレに対し疑問を投げつけて見たいと思う。
朝ドラマとはいえ「歴史物」じゃん?
今回のNHK・朝の連続ドラマ『らんまん』は、明治時代の土佐(現在の高知県)で活動されていた「日本の植物学の父」と称されている植物学者・牧野富太郎さんをモデルとしている。
第1~2週目ではその幼少期の頃のお話をされており、そこで数多の「不快なシーン」が写し出されネット上では反感を買っているとのことだ。
でも…正直言って「不快なシーン」がうんちゃらの話ってのが私は今ひとつ理解できないんですよねぇ。
前フリなんだから…
確かに「不快なシーン」と一見捉えられるような表現が、作中に何度もあったのは間違いない。
以前の記事で私も少し触れましたが、第1週で描かれた本家と分家の身分制度はもちろん、女性が入ってはいけないゾーンがあって踏み越えたらめちゃくちゃに怒られる…なんてものもありましたな。
それは第2週『キンセイラン』に入っても現れました。9歳に成長した万太郎(小林優仁)が、地元の武家の子が通う学問所「名教館」へ入学したのですが、そこで「剣術の稽古」と称したいじめにあったり、植物の勉強ばかりしている万太郎を祖母のタキが「商売の勉強をさせる」と強制的にやめさせたり…まぁ割とひどい仕打ちを受けていました。
だからこそ、ネット上では「朝から重い・辛い」と言う批判的な意見が多く現れてしまったのでしょう。
気持ちはわかる。朝の8時(BSでは7時半)から重苦しい気持ちにはなりたくないですよね。その日1日に影響が出るってもんですわ。

しかしこれらの表現は、時代背景的に避けては通れない部分もあるのではないでしょう。急激な社会変化が起こった明治時代になったことで、士農工商の身分制度は終わり安泰だった武士は今後の身の振り方を考えないとならない時代。そんなおりに、商家の子供が武家の子が通う学問所に来たら…少しばかり思うところあったのでは?と思う。
だってさ、お昼ごはんの時間には武家の子たちのおにぎり弁当に対し、万太郎のお弁当はお重に入ったお弁当…軋轢を生まないわけがない(汗)逆に祖母のタキだって、それまでの「しきたり」に殉じて生きてきたからこそ、そう簡単に変えることができなかったのは容易に想像がつく。
だからと言ってここをすっ飛ばしてしまっては、物語がスカスカになるのではないだろうか。この幼少期に起きた、急激な社会変化による不快な圧力というものは、単なる前フリに過ぎない訳でしょう。
万太郎が実家の抑圧に反発するように花を愛で、植物のことを知りたいという欲に気がついたからこそ、第1週のタイトルになったのは花言葉が「情熱」である『バイカオウレン』だったのだろう。
それにお酒・酒造に惹かれているのにうっすら気づいているのに、女性は酒蔵に入れず嫁いで働くこと話した姉の綾に対して、「お姉ちゃんが酒蔵に入れないのはおかしい!」「そんなの変えたらええ」と言った言葉に重みが出るのではないだろうか?
それを「不快だ」「現代の感性では考えられない」と一刀両断してしまうのは、もったいないと言わざるを得ない。純粋にドラマ・物語として楽しんでみてはどうだろうか?
描きたいものがあるからこそ…
「不快なシーン」がうんちゃらの話はこの作品に限った話ではなく、映画やテレビを問わず過去に作られた作品にはままあることです。ソレを現代に放送する際には必ずと言って良いほど「オリジナルを尊重して、当時のまま放送します」的な注意文が表示されることが多くなりましたね。
例えば特定の人種のステレオタイプを思わせるようなキャラクターを登場させたり、女性が虐げられていたり、差別用語が飛び交っていたり…そういうシーンを削ったり修正したりして現代の『コンプライアンス』に合わせるのが主流。
それを「あえてそのまま流しますよ~」というために必要なのが件の「オリジナルを尊重して…」の一文である。これって一体なんなんでしょ?と思うんですよ。
いや、言いたいことはわかりますよ?
当然差別など誰かを不快にし、傷つける行為は全くもってよろしくない!これは断言しよう。
しかしだ、当時の時代背景ってもんがあるでしょ?その作品が作られた当時は、今ではタブー視されている一切合切がノーマル…通常運転…日常だったわけである。今でもご老人がぺろっと放送禁止用語を連呼するのも、その延長線にあると思う。
もちろんその当時に嫌な思いをされている方が、声もあげられず堪えていた事は容易に想像がつくのだが…大衆・世論の中でまかり通っていた言動を、現在の価値観で否定すべきだろうか?その言動が映し出されていた作品を意図的に編集してまで、現代の枠にはめ込む必要があるだろうか?
いや、言いたいことはわかりますよ?
旧作品はまだしも…『らんまん』のような現代に作られた作品は、その辺りのタブーを気にしつつ作るべきだと言う意見もわかる。
しかしだ、その当時の時代背景を映し出さないで作品が作れるだろうか?重みやリアリティが醸し出されるだろうか?先に書いた『らんまん』における、万太郎の意欲や覚悟の裏付けになっているのではないだろうか…と思うのだ。
同じくNHKの大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康なんて、小さい時に今川家の『人質』として預けられているんですよ?「人質なんてけしからん」ってクリーンにしてたら、独立して国を興して天下統一して江戸幕府を作って…っていうストーリーに迫力が欠けてしまうと思うんだよなぁ。
無菌室に仕上げるのは、いささか無理が過ぎると思わないだろうか?

大事なのは認めて教えること
過去の過ちは消えない。消えないからこそ認めて、後世に伝える必要があるのではないだろうか。
今すべきことは時代に合わないからと「修正」するのではなく、こういう時代があったんだよと「放送」すること。そして今はダメなんだよと「教育」することではないだろうか。
「そんなもん学校の道徳や歴史で教えろや!」という声が聞こえそうだが、テレビや映画などエンターテイメントから学んだものの方が記憶に残りやすい…というのを体験的に知っている。
やはり「そのまま放送する」そして「過ちを認めこれからの行いを正していく」ということこそが、逆に実社会で「不快なシーン」を見かけなくなる近道ではないか…と思うのだ。
改めて言う。差別や偏見はなど…誰かを不快にし、傷つける行為は全くもってよろしくない!
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